変わらない職場文化と変えられる自分の立ち位置

第3章 病院事務
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退職者が発生するたびに、「ついてこられなかった」「本人の問題だ」という声があがります。一理あるように聞こえますが、裏を返せば組織の側は何ひとつ変わらなくてもいい、という宣言でもあります。

採用活動は続いている。新卒もたくさん入職してきました。しかし、せっかく採用しても新人が定着せずに辞めてしまえば、それは人員不足を解決する手段にはならない。

むしろ「同じことを繰り返す職場」という印象だけが外に広まり応募者がますます減っていく。病院から一番近い看護学校からも悪評が広がる。

変わらない文化の中で、自分はどう立ち位置を取るべきかについて少し整理してみたいと思います。

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体育会系もしくは昭和的価値観の職場文化

ぼくが働いている職場は、いわゆる体育会系の色合いが強いです。もしくは昭和的価値観。叩いて鍛える。声を荒げる。精神論で締める。

60代部長はその価値観で育ち、50代男性もまた同じ。60代女性も厳しい指導を当然と考えているような職場です。そして、彼らのもとで働き続けてきたメンバーも同じように鍛えられ、結果として「きつい指導そ教育」という文化が固定化しています。

一方で、新人の世代は違います。

昭和的価値観の部長たちの教育とは知識を渡され、支援を受け、失敗しながら成長するプロセス。でもね、若手たちにとっては怒られる、威圧される体験でしかないんですよね。

学びや育ちの実感はなく失敗を恐れてしまう姿勢だけが強化されていきます。

具体的には、質問をしない。余計なことを言わない。目立たない。やり過ごす。

少しでも面倒なことが起こると改善よりも退職を選択してしまうのです。

他責の構造を変えないといけない。けれども。

新人が辞めると、最近の若い人は弱い。根性が足りないという話がよく出てきます。

それは一見わかりやすい説明ですが実際には自分たちは悪くないと言っているに過ぎません。問題を外に押し付け組織の側は変わらないまま時間を進めているだけです。

だが現実は厳しい。

叩いても大丈夫な人材は採用市場ではほとんど見つかりません。運良く採用できたとしても早期退職の可能性が高いです。教育のあり方を変えなければ結果は同じ。人材確保が目的化し、教育や定着は置き去りになる。こうして人員不足は慢性化するのです。

この人に相談すれば大丈夫という最低限の安全圏

この病院に来て1年が経過しました。

この職場のカラーに完全には染まっていない。転職を多くしているので外の空気を知っています。しかし逆に言えばこの場で異端であることも自覚しています。

もはや部長含めて多くの人を変えることはできません。

だからこそ、自分の役割は緩衝材になることだと思っています。若手が直接ダメージを受けないように間に入る。言葉を翻訳しやわらかく伝える。

この人に相談すれば大丈夫という最低限の安全圏を作れたらと思います。

もちろん負担は大きいですし、新人の定着を保証することはできない。

けれど、組織全体を一気に変えられない以上、小さな安全圏を確保するしかない。文化を変えるよりも自分の距離感と立ち位置を変える方が現実的と考えています。

いつでも退職できるように準備をしておく

ここに残るかどうかは最終的に自分で選ぶ。

ぼくはジョブホッパーなので一つの職場に固執することありません。ダメならダメで退職すればいいだけ。

外部との接続を保ち続けておきます。他部署との交流や業界情報の収集。資格やスキルの習得。職務経歴を常に整理しておき出口を持っておくことが大事です。

職場文化が変わらないとわかっているからこそ自分自身はいつでも動けるようにしておきます。退職者の転職先からの紹介もあったりするから面白いですね。

逃げ腰ではなく精神的に安定して残るための保険です。

本日のまとめ

退職者が増える原因は新人の弱さだけではありません。

時代と合わない職場文化が成長の機会を奪い防御の姿勢を強いている。それでも上層部の考え方を変えることはできません。職場文化も簡単に変わりません。

職場における当たり前なんてそこにる人の平均でしかありません。

職場の大多数が正義だと思うのでればそれは小さな世界での正解になるのです。村社会。

それでもいい職場になると良いと思いながら日々やっていきます。