成果を出す人は、必ずしも出世すべきなのでしょうか

第3章 病院事務
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「次のポストはあなたしかいない」
「近い将来はあなたの時代だ」

ありがたいことに、そうした言葉をかけられる機会があります。しかし正直なところ、ぼくは出世に興味がありません。成果を出すことと昇進はまったく別の話だと考えているからです。

それなのに周囲は「結果を出す=役職に就きたいはず」と信じて疑わないのです。この思考回路に違和感を覚えましたのでブログに書いておきたいと思います。

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成果=出世という昭和的思考

日本の職場は「頑張ったら上に行く」が当然という設計で動いてきました。能力のある人材を上に置かないと組織が回らないという理屈も理解はできます。

ただしこれは、頑張りと役職が自動的につながっていた昭和型のモデルであって、現代の働き方にそのまま当てはまるとは限らないのです。

出世したところでラットレースが続くだけであり、肩書きが変わっても人生の自由度が急に増えるわけではありません。

ぼくのスタンスは成果は出すが昇進はいらない

ぼくは仕事をゲームのように感じています。日々のクエストがありレベルアップをしていく。勝手に自己目標を高く設定し、それを効率よく乗り越えるのが好きです。

できなことができるようになるのは個人的な喜びも感じます。

その結果として成果は出ます。与えられた範囲はしっかりやりますし、数字や業務でも結果を残します。

ただし「役職を与えてほしい」「もっと偉くなりたい」という欲望はまったくありません。むしろ、定時で帰れることの方が満足度は高いのです。時間を区切るからこそ効率が上がり成果が安定します。

「成果を出す=昇進を望んでいるに違いない」と思われても、それは完全に的外れだと思います。

ごますり出世主義の限界

職場を見ていると「上司に忖度してでも役職を得たい」という人は少なくありません。けれども、そのやり方で本当に昇進できる人はどれだけいるのでしょうか。

成果を伴わずにごますりばかりしても、上司に見抜かれるのは時間の問題です。ごますってまで役職に就きたいのに、結局ポストに就けない。そういう人を見ると「これほど人生を無駄にしている姿もないな」と感じます。

ぼくにとっては、成果を出すこととごますりは天と地ほど違う行為です。

出世って本当に欲しいですか?

成果を出すと昇進を望んでいるように見なされます。でも、成果は成果として完結していいはずです。出世は義務でもなければ、人生の価値を高める魔法でもありません。

出世してもラットレースは続き、責任だけが増えます。それよりも、自分が納得できる基準で働き、効率よく結果を出し、定時で帰って自分の時間を守る方が健全な働き方だと思います。

本日のまとめ

  • 成果を出す=昇進すべき、という前提を疑う必要があります。
  • 出世欲がある人は勝手にがんばればよいのです。
  • しかし、成果を出しつつ昇進を拒む選択肢もあってよいのです。

むしろ、その選択肢を認められない職場こそ組織として不健全ではないでしょうか。

今のポジションで十分なんだよね。これ以上のポジションを狙うには必要以上の忠誠心やら院内政治など別の能力が必要となってくるのです。