地域の公立病院を訪れて思ったこと

第3章 病院事務
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地域の中核となる二つの病院と仕事をする機会がありました。災害でも感染症でも、いざというときに地域中核を担う存在です。いわゆる○○拠点病院手といわれるような大きな病院です。

現場に足を運ぶとやっぱり感じるものがあります。「大きな病院は、装備も体制も段違いだな」って。安心感というか、この地域は守られているという実感が湧く瞬間です。

でもね。

その空気の中に、別の感情も生まれました。羨望と、違和感と、少しの焦り。そんな複雑な気持ちです。

今日は公的病院と民間病院における違いについて思ったことを書いておきたいと思います。


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公立病院の「余裕」という文化

見学した日は、ちょうど職員のインフルエンザワクチンの接種時期でした。

会場は静かで、椅子は等間隔に並び余裕を持って呼ばれた職員がゆっくりと座って接種を受けていました。1000人規模の病院で、それだけの枠をしっかり確保している。そういう運用です。

一方で、ぼくのいる病院では約700人を限られた時間と人員で回す。椅子は常に埋まり動線は詰まり気味で現場はピリッとした空気になる。良く言えば機動力悪く言えば綱渡り。

どちらが正しいという話ではないのですが、肌感覚で「文化の違い」を突きつけられました。

そして気づくのです。この余裕は、公立ならではのものだと。

役所仕事、と揶揄されることがあります。

その言葉の厳しさも知っていますが、現場で感じた“ゆったりとした流れ”は、まさにそういう性質を帯びていました。「急がない」「焦らない」「手堅く進める」。

それは弱さではなく、ひとつの価値観です。


ただ、どちらの病院も大きな赤字という現実

しかし、です。

この数年、ニュースで公立病院の経営難はたびたび取り上げられています。

赤字の累積、病床稼働率の課題、診療報酬制度の変化。医療機関だからこそ、安全と余裕を優先して当たり前。

その考えは理解しているつもりです。

でも、どこかで感じてしまう。
このままでは守りきれない時代が来るのではないか、と。

どちらの病院も昨年度も大きな赤字となっていました。経営レポートではどこか他人事のようなコロナ補助金が減額したなど当たり障りのない内容が書かれています。

設備投資、備蓄、手厚い教育。そのどれも必要で、否定する理由はない。けれど、余裕が文化になり、コスト意識が後景に追いやられる時、組織はゆっくりと鈍くなる。

現場に漂う「なんとかなるだろう」という空気は地域医療の未来にとって静かなリスクです。

民間病院は失敗すれば即赤字、最悪は撤退です。だから現場は常に張り詰めている。効率と持続性のために無駄をそぎ落とす。理性というより本能に近い話です。

公立病院は、地域を守るために余裕を持つ。
民間病院は、地域を守るために効率を磨く。

同じ方向を見ていても、歩き方が違う。そのズレが可視化された場面でした。


甘さという言葉の意味

正直に書くと心の中に浮かんだ言葉は「甘い」でした。ここには書きませんが似たような場面で多くの「甘さ」を感じました。職員と話をしていてもどこか「緩い」のです。

ただ、それは批判ではありません。

公立病院の甘さは「優しさ」と紙一重です。人材育成に時間をかけルールを守り事故を防ぐために余裕を持つ。それは地域医療にとって必要な姿勢です。

一方で、民間病院の厳しさは「現実」と紙一重です。効率化、合理化、スピード。

その裏側で疲弊する人も出てくる。ぼく自身そこに立っているひとりです。

どちらが正しいという話ではない。
ただ、どちらも片方の重さを知るべきだ、と思うのです。


地域医療はチームで成り立つ

地域医療は、一つの病院で完結しません。公立と民間の力が互いに補い合うからこそ、成り立っている。だからこそ、それぞれの立場で自分の役割を見つめ直す時期ではないでしょうか。

公立は、余裕の意味をもう一度問い直す。
民間は、効率の中に安全を見つける。

その緊張関係がバランスを崩したとき地域医療は脆さを露呈する。今年の見学でそんな静かな危機感を覚えました。

ぼくは民間の現場にいます。

スピードと効率を追いながら倒れないように進む日々です。現場を見て、文化を知り、危機を感じ、それでも働く。その積み重ねが医療を支えているのだと考えています。