医療の人とお金が足りないという話を、少しだけ前向きに考えてみる

第3章 病院事務
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病院で働いていると「人が足りない」「お金が足りない」という声が現場でもニュースメディアからも多くあると感じます。医療従事者なら同じような感覚を持っているかもしれません。

急性期も外来も在宅も、地域医療全体を支えるはずの仕組みがギリギリのラインでまわっている。それでも医療って、毎日止まらないんですよね。

患者さんは今日も来るし夜中に救急も来る。現場は常に余裕なんてない。そんな背景から、ここ数年の動きをあらためて整理してみたくなりました。

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高市首相は経営難に対して支援は急を要すると明確に言い切った

国は「診療報酬改定」という仕組みを軸に、医療現場を支えようとしている。高市首相の医療機関の経営難に対して支援は急を要すると明確に言い切ったのは象徴的だと思っています。

物価高、光熱費高騰、人件費上昇。どれも病院にとっては直撃弾であり、急性期病院を中心に赤字割合が増えているのは紛れもない事実。

厚労省も現状を理解していて、地域完結型医療やDX、タスクシフトなど、構造改革の方向性を何度も打ち出している。これ自体は悪くない。

ただ、現場からすると「そもそも人がいない」「今ほしいのは現金」なのだ。改革の大筋は理解できても、足元が揺れている状況では理想論だけを並べられても困るというのが正直なところです。

一方、財務省は徹底して財源の視点に立つ。

医療費の伸びを抑制しなければ現役世代の負担がこれ以上増える。これは確かに正論だと思う。補助金を出すにしても、元は税金だし、足りない分は国債(=未来世代の負担)になる。現場がいくら疲弊しても、永続的に補助金だけで延命できるものでもない。

ここに政府・厚労省・財務省の三つ巴の構図がある。

どれも正しいけれど、どれも不完全。誰も悪くないのに、システムとしては詰まっている。

それでも医療は動いている。現場の人たちが動いているからだ。病棟、外来、在宅、検査、医療事務。誰ひとり欠けても回らない。だから国は補助金という「即効薬」をたびたび打つ。短期的には効果がある。

電気代が補填され、人件費の一部が賄われる。けれどそれは、現役世代か未来世代に負担を先送りしているだけだ。即効性のある対策ほど、長期的にはしわ寄せが来る。世の中ってうまくできていないなと思います。

この問題は誰にも解決できない構造的な欠陥をかかえている

では、本当に頭の良い人がこの問題を解決できるのでしょうか。

民間の超優秀な経営者、たとえば柳井さんや孫さんのような人たちが医療の経営をすれば改善するのか。正直なところ、部分的には“YES”だと思う。

DX、人材育成、仕組みづくり、調達、オペレーション改善。彼らが得意とする領域は医療にも役立つ。病院の業務プロセスはまだまだ効率化の余地があるし、データ活用も十分ではない。

しかし、根本的には“NO”だ。医療は市場原理だけで動かせない。

救急も周産期も在宅も、採算度外視で提供しなければならない。地方の医療空白地帯を誰が支えるのか。高齢者の生活を誰が守るのか。民間の合理性を極めるほど、誰かが犠牲になる。

一人の天才がスピード感で改革しても、制度を構成する膨大な利害関係者と法律の網を一度に動かすことはできない。医療というシステムは「超高難度の複雑系」で、頭の良さだけではどうにもならない部分がある。これが現実だと思うのです。

明るい未来を描いてみよう

とはいえ、悲観だけでは前に進めない。明るい話題がないわけではありません。

医療DXはゆっくりだが確実に進んでいるし、在宅医療の質も設備も以前より向上した。地域での役割分担も少しずつ見直されている。

医師の働き方改革も痛みはあるけれど大きな方向性としては間違っていない。時間はかかるけれどジワジワと改善している領域もある。現場から見ても数年前より「可能性の芽」は増えているように感じます。

医療制度の矛盾や限界は誰か一人の手で解ける問題ではない。国の動きが遅いのは決して無能だからではなく利害調整に莫大な時間がかかるからだ。

現場としては遠回りに思えても国家規模の制度はそんな性質を持っている。その構造を知っているだけで少し楽になることもあるんですよね。

僕らができるのは現場の一つ一つの改善と未来に少しでも負担を減らす方向に舵を切ることだけ。小さくても前に進む。今日より明日が少しラクになるようにできることを積み重ねる。

ゆっくりでも確実に現場の歩幅で進んでいく覚悟を持ち続けたいと思いました。