病院は労働集約型ビジネスの限界かも知れない

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病院は、労働集約型ビジネスの完成形みたいなものです。人件費率は高く、利益は出にくい。まじめに経営しようとすればするほど、むしろ苦しくなる。不思議ですね。いや、もう無理ゲーと言ったほうが正確かもしれません。

看護師の取り合いも熾烈です。給与で勝負するしかなく、つまりは札束の殴り合い。この状態をいつまで続けられるのか、誰にも分かりません。たぶん、もう崩れ始めてるんでしょうね。静かに、じわじわと。

勤務医にも悩みは尽きません。働かない人もいる。わがままな人もいる。でもなぜか、守られている。なぜあの人がそこに座っていられるのか、誰にも説明はできません。そして、本当に「この人がいてくれて良かった」と思える医師は、驚くほど少ない。

売上を増やしたいなら、患者数を増やすか、1人あたりの診療単価を上げるしかありません。でも、もうコロナ前には戻りません。戻らない前提で考えるしかない。

一方で、医療材料や修繕費、食材費など、支出は順調に増えています。よく育つんですよ、費用って。こちらが何もしなくても。

売上が増えない中で、費用だけが増え続ける。病院経営がうまくいかないのは、努力不足ではなく、構造の問題です。そう言うと、少し気が楽になりますね。気が楽になるだけですが。

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総務課としてはそれでも病院の旗振り役をやっていくしかない

ぼくの立場から「もう無理です。あきらめましょう。試合終了です」なんて言うわけにはいきません。
本当はそう思っていても、安西先生のように「諦めたらそこで試合終了ですよ」と言い続ける役割を求められています。

たとえ、その先に何の未来も見えていなかったとしても。

上層部からは「売上が少ない」と言われ、
職員からは「いたらない点が多い」と言われ、
部下からは「業務過多で大変です」と言われ、
患者からは「理不尽なクレーム」を浴びせられる日々。

当たり前のことが、当たり前にできなくなりつつある。
そんな気配が、もうあちこちで漂っています。

まだ気づいていない人も多いかもしれません。
でも、それはもう確実に、静かに、内側から蝕んできています。

何かを選ぶことはできる。それに未来はない

売上を上げようと思えば、やり方はいくらでもあります。
必要のない入院を入れたり、過剰な検査や手術を増やしたり。
職員の不平不満をとりあえず全部聞いてあげることもできます。
部下の業務負担を減らすこともできるし、患者満足度だけを追いかけることも可能です。

一つひとつだけを見れば、改善はできます。
でも、過剰な医療を提供し続ければ、短期的には数字は良くなるかもしれませんが、やがて職員も患者も離れていくでしょう。
職員の不満ばかり解消していたら、今度はお金が回らなくなります。
部下の業務を減らせば、今度は業務自体が回らなくなる。
患者の言うことを全部聞いていたら、それはもはや医療ではありません。

何かを立てれば、何かが崩れる。
どこを立てても、どこかが壊れる。
そんな綱渡りを、日々続けているような感覚です。

ちなみに、近くの公的病院の赤字は10億円を超えていました。
公的病院なので、短期的には潰れることはありません。
それを見た民間病院は「何やってるんだ」と思うかもしれません。
でも、赤字部門を一手に引き受けてくれているからこそ、言葉にできない複雑な感情も芽生えます。

本日のまとめ

4月から病院の幹部体制に変更があり、新しい価値観が導入されようとしています。
けれど、古参の幹部からの反発もあり、なかなか融合には至っていません。
正直なところ、統合というよりも空中分解の気配すら感じています。

院長、副院長、看護部長、事務部長……。
毎日、幹部同士の調整に振り回されています。
政治をする人もいれば、医療をしたい人もいて、ただ保身に走る人もいる。
価値観も、立場も、向いている方向もバラバラです。

ああ、大きな組織って難しいなと改めて思います。
昨年は新しい病院のルールを覚えるだけで精一杯でしたが、最近になってようやく周囲を見渡す余裕も少しだけ出てきました。

以前いた介護施設では、職員は100人規模。
全職員に目を配り、リーダーシップを発揮することも不可能ではありませんでした。
でも病院となると、職員の数はその何倍にもなり、幹部の顔ぶれも多種多様。
そして、誰も「然るべき道筋」を示せていないという現実があります。

ぼくには、まだ力が足りません。

短期的にどうにかすべきなのか、長期的な道筋を描くべきなのか。
そもそも、そんな余裕はあるのか。未来は読めているのか。
問いばかりが浮かびます。

難しいですね。
お互い忘れましょう。

ではまた。