最近、ふとした瞬間に足元が揺らぐような感覚を覚えることがあります。
日々の業務は滞りなく回っているし、大きなトラブルも瞬時に落とし所までのロードマップが描ける。周囲からの信頼もそれなりにあり、評価も決して悪くない。
それなのに自分が削り取られていくような違和感があります。
かつては、目の前の業務すべてが攻略すべき難敵でした。複雑怪奇な診療報酬改定の通知に目を通し、施設基準のパズルを組み合わせ、医師たちの高い要求と現場の不満の板挟みになりながら、必死に最適解を探していた時期もありました。
あの頃は間違いなくレベルアップの途中でした。
しかし、40代となり相応の経験を積んで景色は変わりました。
もちろん今でも現場は忙しい。毎年のようにやってくる調査や監査。予期せぬトラブル。理不尽な患者さんのクレーム。それらは確かにエネルギーを消耗させますが、もはや未知の脅威ではありません。
「ああ、またこのパターンか」
「この文脈なら、厚労省の意図はこうだろう」
「このクレームなら、この着地点で納得してもらえるはずだ」
すべてが想定範囲内。診療報酬改定ですら攻略法が見えている作業に過ぎない。これは、紛れもなくぼくが成長した結果です。
しかし、皮肉なことに能力が壁を乗り越えた瞬間、仕事から手応えという名の報酬が失われていくのです。そんな感覚に少しだけ戸惑っているのです。
医療法人は制度依存型のディフェンシブ・エンティティ
なぜレベルアップをしたのに閉塞感を抱くのか。その答えは個人の資質ではなく、医療法人という組織が持つ特有の保守構造があると思っています。
医療法人の本質は、制度依存型のディフェンシブ・エンティティです。
まず、医療機関には価格決定権が存在しません。収益の柱である診療報酬は国によって決定され、2年に一度の改定という外部要因に経営の根幹を握られています。どれほど画期的なサービスを考案したとしても、それが点数化されていなければ経済的な合理性は担保されない。
また、医療は極めて高い公共性を有しており、失敗のコストが他業種とは比較にならないほど重いです。一時の革新のために地域医療の継続性をギャンブルに投じることは医療法人の倫理として許されません。
医療法人が保守的であることは、社会的な「正義」である。
この視点は重要です。
医療法人が前例踏襲を尊び石橋を叩いて渡るのは、それが地域住民の命を守るインフラとしての責務だからです。不安定なベンチャー精神で運営される病院では、安心して受診できませんからね。赤字を出さず制度の枠組みの中で確実に続けること。継続性こそが医療法人の最大の価値。
しかし、この社会的正義としての保守性が中で働く個人の成長意欲と衝突するのです。
改善は推奨されるが、革新は構造的に抑制される。既存のフローを5%効率化することは称賛されますが、既存のフローを破壊して全く新しいモデルを構築しようとすれば、制度の壁、医師会の力学、変化を嫌うインフラの性質によって阻まれます。
40代の病院事務であるぼくは、この構造に最も最適化された存在になります。
ぼくが整える側として重用されるのは、この保守的な空間において波風を立てずに最大公約数的な解を見つける能力に長けているから。組織はぼくに跳躍を求めておらず、脱線を防ぐガードレールであることを求めているのです。
実務の難易度が下がったと感じるのはルールをマスターしたから
こうなると思考のOSが守備専用に書き換えられていきます。
何か新しい提案を耳にしたとき、おもしろいより先に制度的なリスクや医師への説明コストを計算してしまう自分がいます。それは管理能力とも言えるけど、同時に可能性を狭めている。
医療法人は完成された箱庭です。その中でのルールを極めることは高度な専門性を意味しますが、箱庭の外に出たときに通用する汎用的な突破力とは性質が異なります。実務の難易度が下がったと感じるのは箱庭のルールを完全にマスターしてしまったからです。
問題はやる気や情熱が枯渇したことではなく、ぼくのOSが現在のハードウェア(医療法人)のスペックを上回ってしまったということ。
このまま同じ環境で自分を奮い立たせても、構造が変わらない以上空回りして疲弊するのが目に見えてしまっているのです。
だからこそ、ぼくのような人間は余力の矛先を外に向けざるを得なくなります。大学院への進学、研究、あるいは全く異なる理論体系の習得。単なるスキルアップではなく、意図的に自分が通用しない場所へ身を置くことで、難易度を再設定する行為なのだと思います。
意識的に出来ることを辞めていく感覚になります。何かを手放すことで新しいものが入ってくる余白が生まれてくるものです。
病院の中では事務長や課長という肩書きが機能し、これまでの実績が発言に重みを与えてくれます。しかし、一歩外へ出れば診療報酬の知識や調整能力を無条件には評価してくれません。そこには忘れて久しい心地よい敗北感とヒリつくような挑戦が待っています。
情熱ではなく、人生の「設計」として
医療法人という組織を否定する必要はありません。保守性がいかに地域社会の安定に寄与しているかを理解し敬意を払うべきでしょう。日々行っている調整や管理は誰かがやらなければならない尊い守備固めです。
ただ、組織に自分自身の成長という報酬まで依存してしまうのは危険だと言わざるを得ません。組織は安定を求め、個人は変化を求める。この矛盾を解消する方法として組織の外側に自分だけの実験場を持つことです。
仕事が退屈に感じられるのは、それだけレベルアップしてきた証拠でもあります。その余裕を無理に現場の火消しに注ぎ込むのではなく自分自身の次なるステージの設計に充てたいと思います。
環境を変えることが難しいのであれば環境との関わり方を変える。組織の論理に全張りするのではなくポートフォリオを組むように自分のリソースを分散させていく。
情熱に任せて現状を打破しようとするのは若者の特権です。しかし、構造を理解し限界を見極めた上で静かに自分の動線を確保していく。これが40代の戦い方です。