若手職員の退職が止まりません。看護師だけでなく、コメディカルや事務職の離職も増えています。新卒採用した職員も、気づけばいなくなっていました。
「まあ、時代だよね」と言ってしまえば、それまでです。でも、それで何かが変わるわけでもありません。
穴のあいた財布に、いくらお金を入れても溜まらないように。人が流出する構造に気づかないままでは、いくら採用しても残りません。
本当に、退職“されている”のでしょうか。
もしかすると——気づかぬうちに“退職させている”のかもしれません。
この記事で書きたいのは、ひとつの視点です。上司の考え方が古いままでは、若手は残らないということ。
わかってはいるけれど、やめられない。やめられないから、変われない。でも、変わらないと、もう持たない。
そんな“思考の硬直化”や“変われないジレンマ”について、今日は少し書いてみたいと思います。
離職に共通していたのは、「価値観のズレ」でした
退職した若手職員に、ヒアリングを行いました。見えてきたのは、「考え方のズレ」によるすれ違いです。
育成がうまくいく方法は、人によって違います。でも、うまくいかないパターンは、わりと共通している。
「どう育てれば伸びるか」はケースバイケースでも、「どうすれば辞めてしまうか」は、案外わかりやすいものです。
たとえば、
・いきなり高すぎる期待値
・自分の若いころとの比較
・できていない部分だけを指摘する教育スタイル
どれも、やりがちです。
でも、続ければ続けるほど、若手の顔が曇っていきます。
新人教育において、どこまでの成長を求めるか。これは現場によって異なりますが、人手不足のいま、最優先すべきは「辞めさせないこと」ではないでしょうか。
少なくとも、最初から即戦力を求めすぎて、結果的に離職につながってしまうなら、完全に本末転倒です。
必要最低限のレベルに達すれば、まずはOK。そう割り切る姿勢が、むしろ今の時代には必要かもしれません。
その「最低限」が何かは、職場ごとに違うはずです。でも、日常業務を回せる程度でいい。まずはそこを、一つのゴールにする。
そのあと伸びるかどうかは、辞めずに残ってくれた人にしか、わからないのです。
昭和の働き方はもう通用しない。「違って当然」と向き合う覚悟
退職理由の中でも、特に多かったのが「働き方に対するすれ違い」でした。
いわゆる、“昭和型”の働き方。
出勤30分前には来るのが当たり前。定時になっても、なんとなく帰れない空気。「見て覚えろ」「聞かなくても気づけ」。
そういう文化の中で育ってきた上司や先輩たちと、今どきの若手の間に、ギャップが生まれるのは当然です。
「欲しがりません勝つまでは」で育った世代と、「時間内で、ムリなく働きたい」世代。この差は、努力や根性の問題ではなく、生きてきた環境そのものの違いです。
中には、意識高めで向上心のかたまりみたいな若手もいます。でも、それは例外。参考にはなりません。
多くの若手職員は、「普通に働いて、普通に暮らしたい」だけなんです。まったりと、ストレスなく。過剰な期待も、不要なプレッシャーもいらない。
それを「最近の若い奴は…」と嘆くより、
「いまの普通」として認識するところから始めないと、話が進まないのだと思います。
昭和世代が悪気なく放つ「刺さる言葉たち」
上司や先輩にとっては、「ちょっと強めの指導」のつもりだったとしても、新人にとっては、必要以上に刺さる言葉になることがあります。
たとえば、こんなフレーズ。
- 「目を疑うレベルだった」
- 「正直、話にならない」
- 「あまりに初歩的なミス」
- 「一体何を見てきたのか」
- 「完全に的外れ」
- 「フォローに疲弊する」
- 「水準に達していないと言わざるを得ない」
- 「指摘する側もつらい」
どれも直接的な暴言ではありません。けれど、そこに“立場の差”や“経験値の壁”がある以上、言われた側は簡単に受け止められません。
右も左もわからない新人にとっては、「自分は否定された」と感じるには、十分すぎる強さです。
プレッシャーが積み重なれば、メンタルを崩すこともあります。最悪の場合、ハラスメントとして問題化し、労基署の調査が入ることも。
ぼくら昭和世代は、こうした“荒療治”を経験してきました。そして、「それでも残った人」が、いまの上司やリーダーになっている。
でも、それをそのまま次の世代に投げ返しても、意味はありません。「自分たちもそうだったから」は、もう免罪符にはならない。
イライラしてしまう気持ちも、わかります。うまく教えられないもどかしさも、理解できます。でも、そこは抑えるしかない。
もしくは、怒りにくいマイルド人材に、教育係を任せるという選択肢もあります。
本日のまとめ 退職させないことが最優先
新人教育のいちばんの目的は、「辞めさせないこと」です。
伸ばすのはそのあと。
せっかく採用した若手に、「育たない」以前に「いなくなる」ことが続いているのなら、そこには“指導の側の問題”があるのかもしれません。
もう少し丁寧に、もう少し緩やかに。焦らず、見守ることから始めてみても、いいのではないでしょうか。