現場を長く見てきてわかったことがあります。多くのマネジメントは下位30%に対して何もしていないのです。
やっているのは、80点の人間が設計し、70点の人間がレビューし、60点の読み手を暗黙に想定したマニュアルを配ること。それで「読めばわかる」「みんなやっている」と言う。
だが読めない人がいる。手順の途中で迷子になる人がいる。多くの人にとってはあたりまえのことだから、その人がどこでつまずくのかが見えない。
そして誰も、そこを直そうとしない。30点を45点に上げるのは消耗するし成果も見えにくい。60点を75点にするほうが気持ちいいし評価もされるんですよね。
だからマネージャーの関心は自然と上へ向かいます。
とくに離職率の高い医療業界では、下位層は「育てる相手」ではなく「入れ替える母集団」として扱われる。手つかずのまま放置されるのは、こういう構造のせいだと思っています。
現場にはびこる「マニュアルがあるのに動けない」問題
組織で働く人間を、自発性や行動力で4つの層に分類してみます。
- 90点以上: 自発的に目標を設定し、課題を解決して自走できる層
- 60点以上: 提示された目標を達成するための行動ができる層
- 30点以上: 指示されたこと(定型業務)を言われた通りにできる層
- 30点未満: 何もしたくない、言われた指示すら通らない層
多くのマネジメント書は30点以上を対象に書かれています。
しかし、常に深刻な人手不足と隣り合わせの医療・介護現場では、言葉を選ばずに言えば30点未満の層を大量に抱えながら現場を回さざるを得ない現実があります。
「床に合わせる」とは、基準を下げることではない
ぼくが考えているのは下位層に合わせて仕組みのレベルを下げる、ということです。
これは求める成果を下げる話ではありません。同じ品質のアウトプットにより低い能力で届かせる、という生産性の話です。
因数分解をくりかえしてルールに置き換える。記憶を、チェックリストやラベルや掲示に肩代わりさせる。文章を読ませる代わりに動きで示す。決めなければいけないことの数そのものを減らす。といった具合です。
狙うのは中央値ではなく、床(フロア)だ。いちばん低いところでも回るように組む。
実はこれ、医療の王道の発想でもあるんですよね。
医療安全の出発点は「人は間違える(To Err is Human)」です。人を注意深くさせるのではなく、間違えられない仕組みを作れ、という転換。ポカヨケも、投薬のバーコード照合も、全部この思想からきているものでしょう。
個人を責めるのをやめて、人間の完璧さに依存しない設計にする。 他業種なら説得が要るこの主張を僕らの土俵ではむしろ正攻法として語れる。
「上が制約されて損をする」への答え
組織全体を下位層に合わせたら、能力の高い人まで縛られて生産性が落ちる、と言われることがありますが、ぼくはそうは思いません。理由は三つあります。
ひとつ。90点の人間は、ルールに縛られて落ちているのではない。下位層の尻拭いで落ちている。 自走できる人ほど、他人の未完了業務が流れ込んでくるんですよね。床が上がって下位30%が自力で回れば、90点は縛られるどころか、自分の仕事に集中できる。解放されるのだ。
ふたつ。標準化されるのは判断のいらない領域だけです。定型を仕組みに落とすほど90点の裁量は難しい判断や改善に集中できる。天井ができるどころか天井の高い仕事へ人が移る。
みっつ。医療介護は人が資源そのものの労働集約産業で、生産性が上がれば残業が消え消耗が減り離職が止まる。一人辞めたときの再採用と再教育のコストは、瞬間的な処理速度の差を軽く飲み込むでしょう。持続性で見れば床を上げることは全体最適になります。
ひとつだけ、線を引いておく ほんじつのまとめ
段差を削るスロープは車椅子のために作られています。しかし、ベビーカーも台車も全員が使うようになりました。
下位30%のために床を下げると全体の速度と安定が上がる。これは甘やかしではなく設計思想の話です。
「能力の高い人に合わせて基準を高くし、できない人間を叱咤激励して教育する」というのは、マネジメントではなく、ただの精神論であり管理職の怠慢です。
下位層を甘やかすために床を下げるのではありません。 「誰がやっても絶対にミスが出ないシステム」を構築することで、中間層のストレスを無くして定時で帰し、上位層を本来の付加価値業務へ解放する。
これこそが、多様な人材を抱える医療・介護現場を崩壊させないための、最も合理的で、かつ優しさに満ちた「全体最適の設計思想」であると信じています。