倫理的に正解とは言い切れない「グレーゾーン」をどのように扱うか

第3章 病院事務
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大学院の授業では、正解のない問題について話し合う機会が多くあります。そこで学べば学ぶほど不思議なことが起こります。それはね、一つ理解すると、今度は十個わからないことが出てくる。ってことです。

法律や制度のようにとりあえずでも正解が決まっているものは扱いやすい。社会を動かすうえでは、それはとても重要な仕組みだと言えます。始業が8時30分なら、9時出勤は30分の遅刻。就業規則に照らして対応する。これは比較的、簡単な話。

しかし、世の中はそんな問題ばかりではありません。むしろ多くの問題は、正解が一つではない「グレーゾーン」の中にあります。

今日はそんなグレーゾーンについての話です。

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総務の仕事はグレーゾーンの対応が多くなります

病院事務、とくに総務の仕事をしていると痛感させられます。

  • 患者さんからの相談やクレーム
  • 職員同士の人間関係
  • 部署間の認識のズレ

誰かにとっては深刻な問題でも、別の誰かにとっては問題ですらないことだってあります。

以前のぼくはシンプルに判断していました。自分の価値観や経験則の中でルールを作り道筋を示してきました。

そして、それは多くの場面で間違ってはいなかったはずです。上司に必要なのは、正解を決めて責任を持つことだ。と思っていたからです。

その考えは今も変わっていません。ただ、学びを深める中で「人の判断基準は、自分が思っていた以上に多様だ」ということに気が付きました。

一つのモデルケースに落とし込むことの不安定さ

性別、年齢、国籍、収入、宗教、家族構成、健康状態、育ってきた環境。

同じ出来事でも人によって見えている景色はまるで違います。

患者さんからの強い訴えも、その人にとっては正義であり切実な主張なのでしょう。一方で、組織として見れば対応の限界があり、客観的には単なる要求になってしまう場合もあります。

職員からの報告も同じです。外国人の若手介護士、70代の清掃スタッフ、30代の看護師。それぞれが違う人生と価値観を持って働いている以上、意見が自然に一致するほうが珍しいのです。

だからこそ最近、判断が以前より難しくなりました。知識が増えたからです。以前は見えていなかった背景や、他者の価値観が見えるようになってしまった。

自分の基準だけが正解ではないとわかっていたけど再確認してしまったのです。

1つを知ると、10のわからないことが出てくる

これは学びの成果でもあるけど少し厄介な副作用でもあります。

一つを知ると、十のわからないことが出てくる。今のぼくは、まさにそんな状態です。

このグレーゾーンをどう扱えばいいのか、まだ明確な答えは持っていません。ひとつ言えるのは問いを立て続けることはやめてはいけないということです。

目の前の問題を単純化しすぎず、できる限り背景やパターンを考える。そのうえで、その場面における最善を決めていくしかありません。

「理解すること」と「同意すること」は違います

「あなたの言っていることは理解できます」 そうやって相手に寄り添うことは、とても大事です。

けれど、そのうえで「決めなければならない場面」があります。

  • 「ここは病院だから、この判断になります」
  • 「ここは病院経営だから、この線を引きます」
  • 「それは仕事の範囲外なので、組織としては判断できません」

「理解すること」と「同意すること」は違います。

グレーゾーンに向き合うというのは、万人が納得する正解を探すことではないのかもしれません。 正解が揺らぐ場所で、それでも判断を引き受けること。総務の仕事とは案外そういうものなのだと、今は思っています。